ボクは鍵を持っている。
これは家の鍵ではない。もちろん何かを開けるためのものだというのは分かるけれど、どうにも思い出せない。どこかボクの知っている場所の鍵だったら良かったけれど、いつの間にかこれを持っていたみたいだ。
おそらく、ボクはこの鍵を過去に貰ったんだと思う。大切なものをしまっておく箱に入っていたから。
過去のボクが大切にしていたのに、今のボクは忘れてしまった。どうにかして思い出したかったけれど、まったく分からなかった。
鍵の形は複製できないようにされた複雑なものではなく、昔ながらのシンプルなものだ。ただ持ち手部分は装飾がされていて、ハートに翼がついたような装飾がされていた。少し鈍い金色のそれは、宝箱の鍵のようだった。
ただ考えても埒が明かないため、ちょうど実家に帰ってきていてこれを見つけたボクは妹に尋ねることにした。
妹の部屋を訪ねたボクは、早速その鍵を妹に見せる。しかし、妹は首を左右に振った。
やはり分からないか。
あまり期待はしていなかったけれど、小さい頃はボクにベッタリだった妹ならもしかして、と思ったのも事実だ。
妹が知らないなら母さんも駄目だろうな。父さんなんて以ての外だ。
でも、母さんに聞いてみるだけ聞いてみるのもいいかもしれない。
ボクは階下に降りて、台所で料理をしている母さんの元へと向かう。何があったんだろう、母さんは泣きながら料理をしていて声を掛けづらい。
ちらっとその手元を見たら、作っていたのはボクの好物だった鶏の黒酢煮だ。
好物だった?
ボクは自分の言葉に首をひねりながら居間へと向かう。久々に帰ってきた家は懐かしくて、不思議と笑顔になる。温かいなぁ、なんて思いながら居間に入ると、その一角に目が吸い寄せられた。
仏壇なんてあったっけ、とボクはそのまま近付き写真立てを眺める。
変なの。ボクが写ってる。
そう思った瞬間、すべてが繋がる。
この鍵はボクのものだ。誰かに貰ったんじゃなくて、ボクが記憶を封じ込めたときに使ったもの。
ボクは辛くて悲しくて忘れたかった現実を、記憶を改ざんしたんだ。
さっきだって妹に声をかけたけど、ボクの声に答えたくれたわけじゃない。首を振って項垂れていたのは、問いの答えを告げたわけじゃなかった。
母さんが泣いていたのは、おそらくボクの好物を作って思い出してしまったからなんだろう。
鍵を開けなくてもボクは自分が死んでしまったことを知っている。けれど、ボクはいつ頃どのようにして死んだのかは分からなかったし、それは思い出すべき過去だと思う。死んだことを忘れたまま、ボクはこの世に残り続け、今までと同じ生活を送っていたのだから。
ボクは鍵を自分の胸へと差し込む。
ボクに忘れ去られた鍵は、正しい鍵穴にはめ込まれ隠した記憶を蘇らせる。
胸が痛いのは鍵を差し込んだからではない。辛すぎる現実がボクの胸をずたずたに引き裂いていくからだ。
ボクは自分のすべてを思い出し、そして思い出したことを後悔する。ずっと鍵のことなんか忘れていればよかったんだ。そうすれば、いつまでも幸せな夢の中で微睡んでいられたのに。
ボクは、ちょうど帰宅した父さんに憎悪の瞳を向ける。ボクが忘れたかったのは、あの日、ボクを殺した父さんだったんだから。