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 カラン、と硝子の瓶の中で音が鳴る。
 太陽の光に輝いて冷たい瓶から雫が零れた。

「つめてー!」

 でも美味い、と紀更は笑みを浮かべて隣に座る伶蒔を見つめる。
 屋上の日陰になってる部分で、二人は学校の近くにある店でラムネを買ってきて飲んでいた。それは先ほど、授業を終えた紀更が全速力で仕入れてきた品だった。




―――― らむね ――――




 授業終了と共に教室を出て行った紀更の背中を目で追っていた伶蒔は、置いて行かれた事になんだか面白くないものを感じながらいつものように屋上へと向かった。
 ここ最近当たり前のように授業が終わると伶蒔は紀更と二人で話をしていた。だから今日もそうだろう、と伶蒔が思っていても可笑しくはない。
 今や伶蒔の中で紀更は特別な存在だった。おそらく、親友以上恋人未満のような位置に居る。紀更にはいつも『好きだ』なんだと言われているのだが、伶蒔にはその手を取る事がまだできないでいた。自分に自信の無い 伶蒔は不安で仕方がないのだ。
 一緒に居る事に安らぎを覚え、そのことがいつの間にか当たり前だと認識し、一緒にいる事を期待してしまっている。だからまだ怖いのだ。
 紀更以外とはやはりまだうち解けられない伶蒔だったが、ほんの少しずつだが周りへの対応も変わってきていた。それを 紀更が嬉しく思うと同時に、ほんの少し淋しく思っている事を伶蒔は知らない。

 そのまま伶蒔が屋上で空を見上げながらぼんやりとしていると、大きな音と共に開けられた扉から紀更の声が聞こえた。

「れーいじー、居るんだろ?」

 その声に、ひょい、と蔭から伶蒔が顔を出すと紀更の顔に笑顔が浮かんだ。全開の笑顔の紀更が手にしているのは二本のラムネ。

「紀更の直送便ってなー」
「……何それ」

 思わず吹き出しそうになりながら、それを買いに行っていたのかと伶蒔は苦笑する。置いて行かれた事を面白くなく思ったのを胸中で詫びながら。

「暑い日に冷たいラムネって美味かったよなー、って授業中に思いついてさ」

 ほい、と手渡されたラムネの瓶は冷たくて気持ちが良かった。

「ありがとう。あ……」
「ソレ、オレの奢り」

 お金を渡そうと財布に手をかけたところで言われた伶蒔は、むっ、と黙り込む。それに気付いた紀更が伶蒔の頭を小突いた。

「何いじけてんだよー。貸し作るの気にくわない? んじゃさ、笑ってよ。それが代金代わり」

 それでOK?、と紀更が言うと不思議そうに伶蒔は顔をあげる。

「全然代金代わりになってないよ」
「なるんだってば。いいから笑う」

 ぐいーっ、と紀更は伶蒔の両頬を軽く引っ張った。

「いひゃいって」

 逃げようと動いた伶蒔がバランスを崩して紀更の上に倒れ込む。手にしたラムネの瓶は死守。紀更の方も割れてはいないようだ。

「危ないじゃないか」

 まったく、と呟き視線を上げた伶蒔は紀更との余りにも近い顔の距離に頬を赤らめた。焦って立ち上がろうとするものの、半分パニック状態の伶蒔はうまく起きあがれない。
 ラッキーとばかりに紀更はそんな伶蒔を抱きしめた。

「ちょっ、紀更……」

 焦った伶蒔の声が紀更の耳元で響く。

「暑苦しい……ってば……」
「オレは別に?」

 さらさらと片手で伶蒔の髪を撫でて太陽の光に透かす。煌めく色素の薄い髪。

「紀更っ……!」

 首筋に落ちる髪がくすぐったいのか首を竦め、伶蒔が再び声を上げる。紀更は切羽詰まったような伶蒔の声に苦笑しながら伶蒔を離した。
 わたわたと起きあがった伶蒔は紀更から2メートル程離れてラムネの瓶を手にし紀更を見つめている。
 警戒してるんだ、と紀更は胸の内で思いながら笑う。

「何もしないってば」

 おいでおいで、と手招きすると警戒する猫のようにじりじりと間合いを詰め、一メートル程の距離までくると座り込んだ。

「で、笑顔は?」
「驚かされたからそれでチャラ」
「……それって、結構オレ可哀想じゃない? 先に倒れ込んできたのは伶蒔だし」
「………恥ずかしいからヤダ」

 ぷいっ、と横を向いてしまう伶蒔の髪を風が吹き上げ、いつもは長めの髪に隠された瞳が見える。その目許は朱くほんの少し潤んでるように見えた。本当に恥ずかしくて焦っていたに違いない。

「はい、驚かせてごめんなさい」

 両の掌を顔の前で合わせ紀更は伶蒔に謝罪する。
 今日の所はその恥ずかしそうな顔でいいや、と思いながら。

「とりあえず冷たいうちに飲もうぜ」

 その言葉に頷きながら伶蒔はまだ栓のされたままのラムネを太陽の光に透かした。
 透明な液体がゆらゆらと揺れている。
 紀更のラムネが、ぷしゅっ、という音を立てる。そして、カラン、と硝子の瓶の中で音が鳴った。
 一口飲んで紀更が声を上げる。

「つめてー!」

 でも美味い、と紀更が伶蒔に微笑みかける。
 伶蒔も紀更と同じようにラムネを開けて、口を付ける。
 授業終了と同時に紀更が買ってきたラムネは、口の中に甘さと清涼感をもたらした。
 それはいつも伶蒔に爽やかな風を運んでくるような紀更の存在の様で、自然と口元に笑みが浮かぶ。

「あっ」

 小さく上げた紀更の声に伶蒔は自分が笑っている事に気づき頬を染める。

「うー……今日だけはサービス」

 苦し紛れにそんな言葉を呟いて、ラムネをもう一度口に含んだ。