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紙ヒコウキに込める思いは
何処まで飛んでいくの
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今日も少年は学校の屋上から夕日を眺めていた。
それはいつものことで、少年は夕日に染まる街を眺めているのが好きだった。
真っ赤に染まっていく景色。
そしてゆっくりと訪れる静寂と暗闇。
闇が訪れるのと同じ位の速度で自分の中の熱もゆっくりと温度を下げていく。
自分の中にも世界と同じくらいの闇が広がればいい。
そう少年は思っていた。
自分の居場所、そして胸の内など誰にも知られなくて良い。
誰かに答えを返して欲しいだなんて思わない。
いつだって自分は一人だったから。
長めの黒い前髪が風に揺れ、少年の顔を露わにする。
隠すのが勿体ないくらいの整った顔立ちをしている。伏し目がちにすると長いまつげが影を落とした。
少年は少し目を細め、眩しそうに夕日を眺める。
そして世界が闇に包まれるまでずっと紙ヒコウキを折っては空へと飛ばし、戻ってくることのない紙ヒコウキを眺め続けた。
何処までも飛んでいけばいい。
ずっとずっと遠くまで行き場のない思いを乗せて飛んでいけばいい。
誰からも必要とされず、家にも学校にも行き場のない自分の思いを乗せて。
ただ生き続けているだけの自分の命までも乗せて。
他人に期待などしていないから。
期待したら裏切られる。
期待しなければ裏切られることも、他人から期待されなければその期待を裏切ることもない。
だからずっと一人きりでいいんだ。
いつもの光景。
もう少しで空が完璧に暗闇を宿すという時、ふいに少年の背後で声がした。
「伶蒔(レイジ)の紙ヒコウキっていっつも一方通行」
伶蒔と呼ばれた少年は驚いて振り返る。
今まで誰も此処へはやってこなかったのだから当たり前だ。
この時間など、とうに皆下校している。
振り返った伶蒔には声の主の顔が見えず、仕方なく首を傾げながら伶蒔は尋ねた。
「誰?」
「オレ」
声に聞き覚えはあるような気はするものの、伶蒔には仲の良い友だちなど居ない。
気さくに声をかけてくるような人物は思いつかなかった。
少しの不快感を覚え、伶蒔は声のトーンを落としつつもう一度尋ねる。
「名前、聞いてるんだけど」
「やっぱ、声だけじゃわかんねーか。一応クラスメイトなんだけどなー」
顔を確認できるところまで近づいた人物は少し傷ついた表情を見せたものの、すぐに笑顔を浮かべ言う。
「顔見ても思い出さない?」
「……隣の席の」
「そうそう、隣の席の……」
名前を呼ばれることを期待してか、その先は言わない。
伶蒔はこの人物を知っていた。
どちらかといえばクラスのムードメーカー的な存在。いつも気ままに仲の良い友だちとバカをやって過ごしている。
髪は短くて明るい色の髪をしており、かなり目を引く顔立ちをしていた。
名前を覚えるのも顔を覚えるのも苦手な伶蒔だったが、この隣の席のお節介な少年の事だけは覚えていた。
いつもグループを作ると一人きりになる伶蒔を、無理矢理自分のグループに入れるお節介。
なんだかんだと話しかけてきては伶蒔と会話をしようとするお節介。
一人きりになろうとする伶蒔を無理矢理自分のペースに巻き込んで心を乱すお節介。
凍り付かせてしまおうとする心を無理矢理溶かしてしまうお節介。
今も相手のペースにすっかり乗せられてしまっている。
はぁ、と溜息を吐きつつ伶蒔は呟く。
「……鹿目紀更(カナメ キサラ)」
「あったりー!紀更でいいって」
にぱっと全開の笑顔を浮かべ紀更は伶蒔に近づき、足下に腰を下ろす。
「なっ、なんで……」
突然の紀更の行動に伶蒔は狼狽える。しかしその表情は長い前髪に隠れて紀更に見えることはない。
伶蒔にも紀更がそのままさっさと踵を返して消えるような人物ではないことはよく分かっていたが、ここに居座るなんて思いもしなかった。
さらに紀更の突拍子もない行動は続く。 伶蒔から折りかけの紙ヒコウキをとりあげて折りだすと、 伶蒔の問いに答えた。
「なんで、って言われてもなー。オレが此処に居たいからいるだけだし、一緒に
紙ヒコウキ折りたいから折ってるだけだし、話したいから話してるだけなんだけど」
駄目?と上目遣いで尋ねられ、伶蒔はその瞳に一瞬目を奪われた。
そして伶蒔はゆっくりと首を横に振る。
「別に……いいけど」
「そっか。ならいいよな」
うんうん、と一人納得した紀更は、ひょい、と立ち上がると紙ヒコウキを空へと飛ばす。
「いっけー! そして戻ってこーい」
「そんな、戻ってくるわけ……」
ない、と告げようとした伶蒔に、紀更は空を指さし告げる。
「一方通行の思いってやっぱ切ないじゃん。たまにはいいかもしんないけどさ、
でもオレは飛ばしたい思いがあるなら答えは返ってくる方が良い」
こんな感じ、と紀更は空を見上げ笑う。
紀更の視線の先には、暗闇のひろがりつつある空をゆっくりと旋回して戻ってくる紙ヒコウキが見えた。
まるで紙ヒコウキ自体に意思があるように。
乗せられた思いの答えがあるかのように。
飛ばした思いは戻ってくることはない。
そう伶蒔は信じていた。
それは変わることのない真実で当たり前の出来事だと。
それが目の前でうち砕かれる。
「伶蒔が思ってる以上に、回りは結構伶蒔のこと考えてると思うんだ。回りはどうでもいいって思ってるのは伶蒔の方で、その思いを一方通行にしてるっていうか……遮断してるのも伶蒔かもしれない。ま、他の人はどうだっていいんだけど。オレは結構伶蒔のことが気になるからさ、飛ばしてる思いって受け止めてみたかったりするんだけど?」
その言葉に伶蒔は俯いたまま尋ねる。
「そういう事言われると期待するよ? ……紀更は裏切らないの?」
「期待? 裏切り? そんなの思い次第じゃんか。オレは伶蒔を裏切ろうだなんて思わないし、したくもないし。伶蒔っていつもそんなことばっか考えてんの?」
そう言って紀更は伶蒔の表情を窺う。
俯いているため前髪が伶蒔の顔を隠している。
しかし、ぎゅっと握りしめられた伶蒔の手をみれば何を思っているかはすぐに想像が付く。
まるで何かを閉じこめるようにきつく握りしめられたその拳を紀更はそっと開いていく。
「そんな握りしめたら傷付くってば……。ね、オレともっとたくさん話をしよう」
紀更は笑顔で告げると、そっと伶蒔の前髪を払う。
そこには今まで他人に狼狽したところを見せたことのない伶蒔の泣き顔があった。
静かに涙を流し続ける伶蒔。
頬を伝った涙が、コンクリートに小さな染みを作った。
「えーと、もしかしなくてもオレが泣かせた? うわっ、やべっ……」
たまに風に吹かれて見える伶蒔の顔が気に入っていた紀更は、ただいつも隠れてる顔を見たかっただけなのに、まさか泣き顔が現れるとは思わず慌て出す。
しかしそんな慌てふためく紀更に、泣き笑いの表情で伶蒔が告げた。
「いい。別に」
嬉しかっただけだから、と。
そして制服の袖で涙を拭くと小さく笑った。
後に残ったのは胸に残るような笑顔と、ゆったりと訪れた安らぎをもたらすような夜の闇だった。
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紙ヒコウキに込める思いは
何処まで飛んでいくの
震えるような思いを乗せて
紙ヒコウキは大切な人の元へ思いを届ける
そしてゆっくりと
優しい思いを乗せて自分の手元に戻ってきた
心と心が触れ合う瞬間
優しい瞬間
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書いた日付、2003.10.8って書いてあって震えた。笑