地上には奇妙な置物を作り、様々な仮装をして悪霊やいたずらな精霊を退ける風習があるらしい。
 海にはそんなものはなくて、私は想像が追いつかない。
 首を傾げる私を見て、実際に見たことのあるフクロウが楽しそうに語る。トリック・オア・トリートと声を上げながら日没後に家々を回る子どもたちは、お菓子目当てなのだそうだ。
 しかし、最近では大人も仮装を楽しむという話を聞いて訳が分からなくなる。自分以外の何かに扮するのが楽しいのだろうとフクロウは言う。
 あぁ、それなら少しは分かるかもしれない。たまに私も、海以外の場所で生きる者になってみたいと思うから。
 それをフクロウに漏らすと、海の魔女に聞いてみるといいと言われた。海の魔女は人魚が陸でも生きられる薬を持ってるんですって。時間指定とかなんかあったような気はするけどな、と言いたいことを話し終えたのかフクロウは去っていった。


 その日から、私の頭は陸に上がったらやりたいことでいっぱいになった。まだ海の魔女に会ってもいないのに、気が早いと自分でも思う。
 そして、私が海の魔女に会う前、フクロウは何度も飛んできてハロウィンというものの話をする。私はフクロウが話をするたびに、陸への思いを募らせた。
 奇妙な置物というのはジャック・オー・ランタンと言う名で、カボチャの中身をくり抜いて顔を掘ったもの、と言うけれど、まずカボチャがどんなものなのか分からない。

「あー、海にはないな。重いから俺も持ってこれないや。なんか代わりになるようなものはないのか?」

 フクロウが言うには、両手を合わせてマルを作った大きさの二倍くらいでオレンジ色のものだという。思いつかないわ、と言いかけて、サンゴが代わりになるのではと考えついた。

「少しだけ待っていてくれる?」

 そう言い残して、私は海中へと潜る。枝状の細いサンゴは使えないけれど、岩のようになっているサンゴは使えそう。吸盤のような模様のついた死んだ白いサンゴを手にし、海面を目指す。

「これくらいの大きさかしら」
「あぁ、良いだろう。色は……骨みたいでいいかもな」

 これに顔を掘って仮装をして持ち歩いたら、私も陸の行事に参加できる。そんな期待に胸を膨らませ、私は笑顔になる。

「なぁ、あんた。そんな作り物は特に必要ないんだが、それより海の魔女には会ったのか?」
「まだよ」

 心配そうに尋ねてくるフクロウに私は答える。
 たしかにそろそろ探さないといけないけれど、商売をしているんだからすぐに見つかるのでは?
 けれど、そう思っていた私が甘かった。どうも、魔女はあちこちから恨まれているらしく、常に身を隠しているらしい。
 そうして私が苦労して海の魔女の居場所を探し当てたのは、ハロウィンの前日だった。
 海の魔女は海底にあった裂け目の奥に住んでいた。入り口は海藻で覆われているから、パッと見ただけでは分からない。我ながらよく見つけたと思う。

「人間になる薬をくださいな」

 海藻のようにうねった緑の髪を一つに束ねた年齢不詳の魔女は、私の言葉を笑う。

「まだあんな薬を欲しがる人魚がいたのかい」
「あら、だってこことは違う世界が広がっていて面白そうだわ。海の底は少し退屈すぎるもの」
「まぁ、それは否定しないけれどね。ただ、売ってる私が言うもんじゃないが、この薬は飲んだ者への負担が多すぎるんだよ」

 そう言って海の魔女は、暗闇色の液体が入った瓶をくれる。海底の色みたい。

「まず、薬の効果は一日だけ。その間に、人間と恋に落ち、約束を交わさなければならない。それができなければ、人魚に戻れず人間にもなれずに泡となって消える」

 私は薬を見つめながら魔女に問う。

「……陸の生き物ってそんなに惚れっぽいの?」
「私に聞かないでほしいね。私だってその薬を使ったことはないんだから。まぁ、みんな失敗するから私がこんな場所に隠れ住んでるんだけどね。ちゃんと説明し本人が納得して飲んでるのに、周りが文句言ってくるからたまったもんじゃないよ、まったく」

 人魚の肉を喰らえば不老不死になるなんて言うくらいだから、基本的に人魚は長寿で恋愛に関しても積極的ではない。それ故に、この人と決めたらその執着はすごいものになる。人魚の愛は極端なのだ。
 聞いた話だと、人間に裏切られた人魚がずっと相手を手元に置くため、自分の肉を食べさせて不老不死にし、毎日美味しくあちこち頂いては再生させているような者もいるらしい。相手の肉で腹も心も満たし、確かな愛を感じると笑うそうだ。
 そんな強い執着を向けられるとも知らず、人間は簡単に恋に落ちるのだろうか。それを知らないから、人魚という見目良い者に心を奪われ、一夜の恋に溺れるのかもしれない。

「これを飲んだら、一日以内に相手を見つけて約束しないといけないのね」
「そうだよ。でも、あんたが行くのはハロウィンだろ? そんな浮かれた祭りで、一生の伴侶となる者を選ぶのはオススメしないよ」
「心配してくれて嬉しいわ。ありがとう。でもね、好奇心のほうが強いみたい」

 ニッコリと微笑んでみせると、海の魔女は諦めたように笑う。

「とんだお転婆娘だったようだね。まぁ、なるようになるだろう。もし、海に戻れたら顔を出しな」
「分かったわ」
「それじゃあ、最後に約束の仕方だ」

 そう言って、海の魔女は私にやり方を伝えると、裂け目の奥へと戻っていった。
 私は目的を達し、人間になる薬を手に明日のことを思う。これで、きっと明日は楽しい一日になるだろう。人間の服も用意したし、サンゴで作ったジャック・オー・ランタンだってある。
 明日を楽しむ自分を想像して、私はとても幸せな気持ちになった。

 とても楽しみにしていたハロウィン当日。私は朝から大泣きしていた。
 昨日、苦労して海の魔女から買った薬が消えてしまったのだ。海藻にしっかりと結びつけ、寝る前にも何度も確認した。それなのに、目覚めたら薬が消えていたのだ。
 結びつけた海藻の根本が故意に切れているような気もするけれど、真相は闇の中だ。カニなどの大きなハサミを持った者の仕業かも。
 せっかく、できた二本の足で陸を歩けると思ったのに。人間の仮装をして、お菓子集めもしてみたかったのに。
 でも、ないものはない。今から買いにいってもいいが、これが今ある最後の一本だと聞いた。また新しく作るには材料が必要だという話だったし、間に合わないだろう。

「今年じゃなくてもいいけれど……」

 そう呟いてみたものの、参加するつもりで浮かれていた心は萎んでいた。
 せめて雰囲気だけでも、と私は海面へ顔を出し陸を眺める。いつもよりも灯りが多く、笑い声が風に乗って届く。
 もう少し、もう少しだけ、と私は岩場へと移動し人々の様子を窺った。
 フクロウが言っていた、オレンジ色のカボチャというもので作られたジャック・オー・ランタンにロウソクを入れたものを、持ち歩く者がいる。ゆらゆらと炎が暗闇に揺れて幻想的だ。
 白い布をかぶった子どもや、トンガリ帽子をかぶりマントを羽織った大人が笑い声を上げて通り過ぎていった。

「楽しそう」

 ポツリと呟き、手元のサンゴで作ったジャック・オー・ランタンを眺める。せっかく作ったけれど、私のこれは来年まで出番はないようだ。
 おとなしく海底に戻ろうと陸に背を向けたとき、岩場の影に探していた物体を見つける。海藻に巻かれた人間になる薬の入った瓶だ。

「あっ」

 手を伸ばしたとき、誰かの手とぶつかった。

「こんなところにいるなんて随分本格的だね。人魚の仮装?」
「え」

 本物の人魚で仮装じゃないんだけれど、という言葉を飲み込んでぎこちなく笑う。
 薬に手を伸ばしてきたのは人懐っこい笑みを浮かべた人間で、二十歳前くらいの青年だった。癖のある鳶色の髪の毛に空のような青い瞳。笑顔が可愛い人。初めて私に声をかけてくれた人間は、なんだかとても可愛かった。
 彼は私に薬瓶を手渡し、隣に座っていいか尋ねてきた。仮装してると思ってるから、きっと大丈夫よね。私が頷くと、彼はそのまま腰を下ろした。
 えっと、ハロウィンって何か掛け声があったはず。

「トリック・オア・トリート!」
「あはは、僕いたずらされちゃうの?」

 愉快そうな表情で、彼は私のサンゴで作ったジャック・オー・ランタンにお菓子をぽいっと投げ入れた。フクロウが、小物入れみたいに上をあけてもいいぞ、って言ってたのはこのためかもしれない。

「じゃあ、僕もトリック・オア・トリート」

 まさか、同じ言葉を返されると思っていなかった私は真っ白になる。フクロウから聞いたのは掛け声とお菓子をあげるって話。そういえば、私はお菓子を用意してなかった。手元にあるのは人間になる薬だけ。でも、今更飲んでも遅いし、彼にあげてもいいかもしれない。もし、また欲しかったら買えばいいのだから。それに人間が飲んでも何も起こらないかも。だって、人間になる薬だもの。
 私は薬瓶を彼に手渡した。すると、驚いたように私を見る。

「さっきこれを探していたんだよね。大事なものじゃないの?」
「良いの。あなたにあげる」

 彼の驚いた顔も可愛いくて、私の胸がキュンとなる。もしかして、これが恋なのかしら、と私はひと目で恋に落ちる物語を思い出した。

「良いって言うなら貰うけど。でも、これは何かな。インク?」
「いいえ、人魚が人間になるためのシロップよ」

 冗談めかして告げれば、彼は大げさに驚いてみせた。

「すごい、設定もしっかりしてるね。ねぇ、よければその尾びれ触ってみてもいい?」

 あぁ、この好奇心に満ちた彼を私だけのものにしたい。
 強くそう思ったとき、私の中で何かが壊れた。
 彼のすべてが欲しい。その笑顔も肉も心も何もかも。
 そう、私は人喰い人魚だった。陸になんて彼を置いておきたくない。海底に連れて行かなくちゃ。あぁ、でも人間は海の中で息ができないんだった。それならば、と彼の手元の薬瓶を見つめる。海の魔女は人間になる薬と言ったけれど、もしかしたら逆の存在になる薬かもしれない。飲んで駄目だったら、聞いたあの方法を試せばいい。私の肉を与えて、不老不死にしてしまうの。
 私は彼に先程の延長と言わんばかりに話を振る。

「人魚の尾びれに触れるのは旦那様だけなのよ。あなた、私と一緒になってくれるの?」
「おっと、ここでもその設定が出てくるのか。まぁ、でも君面白いし、すごく綺麗だし。お嫁さんにしたいかも」

 少し乾いた潮の匂いがする髪の毛をひと束掬い、彼はそれにキスを落とす。

「ふふっ。私の話に乗ってくれるあなたが好きよ。ねぇ、まずはそのシロップを飲んでみて。大丈夫、毒じゃないわ」
「すごい色してるけど、君の言葉を信じるよ」

 私もあなたのお菓子を食べるわ、と二人で互いに渡したものを口にした。彼がくれたものは、口の中でどろっととろけて強い甘みを残していく。きっと彼もこんな風に甘いのだろう。
 薬を飲み干した彼は、本当にシロップだ、と喜んだけれど、すぐに呻いて蹲る。ぱくぱくと開く口は、嘘つき、って言ってるようだけれど、毒じゃないし最初の時点で人間になる薬と伝えている。

「大丈夫。私と一緒になってくれれば、ずっと気持ちいいはずよ」

 たぶんね、と私は彼の心臓部分に指をめり込ませる。血が溢れたのは一瞬で、すぐに傷口も塞がった。これは回復力の早い人魚特有のものだ。やはり、私の仮設は間違いではなかった。彼を海のものにすることができたのだ。

「私とあなたの心臓の一部を交換するわ。それで、私達はずっと一緒」
「やめろ、やめてくれ」
「あら、私をお嫁さんにしてもいいといったのはあなたよ。それに私、最初から嘘は言ってないもの」

 そんな、と彼は絶望的な表情で私に懇願する。助けてくれ、と。私は現在進行形で彼を助けているのだけれど、薬の効果を知らない彼は人間に戻りたいと泣く。どっちにしろ、人魚寄りの薬なのだ。一時的に人間になっても、人魚に戻るようにできている。効果のほどは分からないけれど、人間が飲んでもそれに引きずられるのではないか。約束を交わしても、人間に戻ることはないだろう。だって、人魚の心臓の一部が埋め込まれるのだから。
 嫌だ嫌だ、と泣く彼の涙を舐め取って、私はニッコリと微笑む。指先を噛んで血を一滴、彼の口に垂らした。人魚の血には中毒性と催淫効果があるけれど、たくさんあげてしまうと彼が壊れてしまうかもしれないから一滴だけ。
 すぐにトロンとした彼の胸と私の胸を開いて、心臓をほんの少し切り取り埋め変える。再生能力が高いから、すぐにそれを吸収し元通りに動き始めるのだ。開いた胸も元通り。呆けた彼にキスをして、口内をよく味わってみる。
 これで彼は私のもの。ひと目で恋に落ちるなんてと思ったけれど、私は可愛い笑顔の彼にころりと落ちてしまった。
 ハロウィンに参加したくて探した薬だけれど、私が飲まなくて本当に良かった。だって、陸に上がっていたら私は彼に出会っていなかった。
 偶然が重なって出会えた奇跡を運命と呼ぶのだろう。
 彼の体は泡となって消えなかった。まだ時間じゃないけれど、きっとこの再生能力は続くだろう。

「さぁ、ハロウィンの続きは海底でも構わないわよね」

 旦那様、と私は彼を抱きしめて海へと潜る。
 彼と出会わせてくれた薬瓶とサンゴのジャック・オー・ランタンは宝物。落ち着いたら、彼と一緒に海の魔女のところへ挨拶に行こう。
 未だ血の影響が抜けないのか恍惚としたままの彼を、私は狂おしいほどの愛情で包み込むことを誓うのだった。